函館五稜郭祭

戊辰戦争の舞台となった五稜郭にまつわる歴史を後世に伝えることを目的に
有志が集い昭和45年から開催されている祭りです。
当時の旧幕府軍・官軍に扮した維新行列パレードや開城セレモニーが催されます。
当社もスタッフとして参加するほか、五稜郭祭ポスター・パンフレットといった
販促物の制作などで積極的に関わっております。

函館五稜郭祭

 箱館五稜郭祭は、安政元年(一八五四年)日米和親条約に基づき、ペルリが其艦隊を率いて箱館に来航してより、明治二年五月(一八六九年)箱館戦争終結迄を題材として維新行列に再現した。
 其間郷土函館の基を築いた先人の遺徳を偲び、併せて戊辰、已巳の変に戦没した無名戦士の御魂の安らかならん事を祈り挙行するものであります。

維新行列の見所

箱館開港事始め
維新行列は箱館奉行所勢を先頭に、アメリカのペルリ提督はじめ、いち早く徳川幕府と修好通商条約を締結した5ヵ国の面々が続きます。
榎本政権誕生
続いては抵抗を続けながら函館での再起を図った幕府正規軍。さらに浅葱色陣羽織の会津遊撃隊、誠の旗を先頭に颯爽と登場する新選組です。
征討軍(官軍)上陸
いよいよ明治新政府の征討軍の登場。地元『松前正義隊』はじめ明治新政府直属の軍隊、陸海軍参謀長などが続きます。
開陽と黒船
維新行列の最後に華を添える山車は、幕府がオランダに発注した軍艦「開陽」と、幕府に開国を迫ったペルリ提督の黒船の一隻「サスクェハナ」です。

五稜郭の歴史

◆一八五七年(安政四年)
五稜郭の工事着工。
◆一八六八年(明治元年)
榎本武揚、幕府残存艦隊『開陽』以下八隻に、幕軍諸隊二千を乗せ、十月二十日(旧暦)蝦夷地鷲ノ木(現森町)に上陸。
◆同十一月五日
土方歳三の指揮する新選組、額兵隊、陸軍隊等の諸隊七百名の猛攻に松前城落城。
◆同四月十二日〜二十五日
二股口守備の土方歳三隊、銃撃戦で政府軍の進撃を食い止める。
◆同五月十一日
政府軍箱館総攻撃開始。土方歳三戦死。
◆同五月十八日
榎本軍降伏。五稜郭開城。
◆一八七一年(明治四年)
奉行所庁舎を解体。
◆一九一四年(大正三年)
公園として一般に開放。
◆一九五二年
  (昭和二七年)
国の特別史跡に指定。
◆二〇一〇年
 (平成二十二年)
奉行所庁舎の一部を復元、公開。

蝦夷地経営の中心としての五稜郭

 1853年(嘉永5年)、M・C・ペリー提督率いるアメリカ艦隊の来航により日米和親条約を締結。開港場となった箱館に、幕府は箱館奉行を派遣しました。
 箱館奉行は開港場の統治、諸外国との対応、蝦夷地の開拓など多岐にわたり、特徴的な地形により防衛上の問題があるとされ防備強化が急がれました。

 城塞の建設には西洋式の築城技術が採用され、1857年(安政4年)工事に着手した城塞は、その形から「五稜郭」と呼ばれました。
 1864年(元治元年)6月、五稜郭内に移転した「御役所」(奉行所)が開庁。五稜郭は蝦夷地経営の中心地、外交の最前線となったのです。

 その後五稜郭は、箱館戦争の激動を経て、1914年(大正3年)には公園として開放。以来、市民の憩いの場となって親しまれています。また、1922年(大正11年)には国の史跡、1952年(昭和27年)には特別史跡に指定され、幕末・明治維新の歴史を物語る文化財として、2010年(平成22年)には、1871年(明治4年)に解体された旧奉行所庁舎が郭内に復元されました。

[箱館 五稜郭祭ポスターギャラリー]
※当社保管データの五稜郭祭ポスターのみご紹介しております